「大阪万博1970といえば太陽の塔!……でも、公式キャラっていたの?」
そんな疑問を持ったあなたに向けて、この記事では1970年大阪万博の公式マスコットはあったのか?太陽の塔の本当の役割、当時のグッズやデザインの魅力までわかりやすく解説!
2025年の大阪・関西万博とつながる“万博キャラの系譜”も紹介します✨
1970年大阪万博とは?簡単なおさらい
開催期間と会場の概要(1970年3月〜9月)
1970年に大阪・吹田市の千里丘陵で開催された「日本万国博覧会」は、アジア初の国際博覧会(万博)として日本中を沸かせました。
開催期間は1970年3月15日から9月13日までの183日間で、今でも語り継がれる日本の近代史の一大イベントです。
テーマは「人類の進歩と調和」
この万博のテーマは、「人類の進歩と調和」。
科学技術の発展と、それに伴う人間らしさや文化の融合を目指したもので、
当時の世界情勢を反映した、理想と未来を描いたテーマでした。
世界から77か国が参加した日本初の国際博
参加国は77か国・地域+4つの国際機関。
各国が趣向を凝らしたパビリオンを展開し、アメリカ館の「月の石」や、ソ連館の「宇宙船展示」などが大きな話題を呼びました。
太陽の塔がシンボルとして誕生
万博の中心にそびえ立ったのが、岡本太郎氏デザインの「太陽の塔」。
春の風とともに、万博記念公園公式アカウントがスタート🌿
ここにしかない景色や思い出を、皆さんと一緒に楽しんでいけたら嬉しいです✨
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巨大なオブジェでありながら、内部には「生命の樹」など芸術的要素が詰まっており、
万博のシンボル=太陽の塔というイメージが定着していきました。
入場者数6,400万人超の歴史的イベント
なんと、半年間で6,421万8,770人が来場。
日本の総人口が1億人にも満たなかった時代に、驚異的な動員数でした。
この記録は現在でも日本のイベント史に残る伝説となっており、
1970年万博は「人々の記憶と暮らしを変えた一大イベント」として語り継がれています。
次は「 太陽の塔は公式キャラクター?モニュメントとの違い」をご紹介します!🌞
太陽の塔は公式キャラクター?モニュメントとの違い
1970年大阪万博と聞いて、真っ先に思い浮かぶのが「太陽の塔」ではないでしょうか?
シンボル的な存在として有名ですが、「公式キャラクターだったのか?」と聞かれると、答えはちょっと違います。
ここでは、太陽の塔の位置づけと、キャラクターとの違いについて詳しく見ていきます。
芸術家・岡本太郎によるデザイン
太陽の塔は、日本を代表する芸術家・岡本太郎氏によってデザインされました。
全長は約70メートルという巨大なスケールで、3つの顔を持つ異形の塔は、「生命のエネルギーの象徴」として構想されました。
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額の「黄金の顔」=未来
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正面の「太陽の顔」=現在
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背面の「黒い太陽」=過去
このように、時間軸を表現したデザインがとても特徴的です。
万博のシンボルだがマスコットではない
太陽の塔は万博全体の“シンボルモニュメント”として制作されたものであり、
いわゆる“キャラクター”=マスコットではありません。
当時、ポスターやパンフレットなどにも太陽の塔は登場しますが、表情が変わったり、手足がついたりするような「キャラ化」はされていませんでした。
つまり、
太陽の塔=公式シンボル
でもマスコットではない
という立ち位置です。
「生命の樹」や「黄金の顔」など内部構造も話題に
太陽の塔は外観だけでなく、内部にも驚きの展示が詰まっていました。
中央には高さ41メートルの「生命の樹」がそびえ、
その枝に原始時代から現代までの生命の進化をたどる模型が飾られていました。
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アメーバや恐竜
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原人から人類へ
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植物・昆虫も登場
この展示は子どもにも大人にも大人気で、「塔の中に入る」体験が一種のエンタメだったのです。
現在も大阪・万博記念公園に現存
万博終了後も太陽の塔は解体されず、現在も大阪・吹田市の万博記念公園にそびえ立っています。
近年の修復工事によって、内部展示「生命の樹」も復活し、再び公開されています(完全予約制)。
1970年当時を知らない若い世代にも、「一度は見てみたい!」と思わせる圧倒的な存在感です。
キャラクター的な扱いはのちに派生したイメージ
近年では太陽の塔をモチーフにした、
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キャラクターグッズ
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デフォルメイラスト
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LINEスタンプやアニメ風グッズ
などが登場し、“擬人化”された「キャラ太陽の塔」的存在も生まれています。
これにより「太陽の塔=キャラクターっぽい存在」と思っている人も増えてきていますが、
1970年当時はあくまで“象徴的なモニュメント”であり、公式キャラクターではなかったという点は押さえておきましょう。
次は「3. 本当のマスコットは『ワッピー』だった!」をご紹介します!👾
大阪万博1970のマスコットキャラクターはなかった?
太陽の塔が圧倒的な存在感を放っていましたが、1970年大阪万博には正式なマスコットキャラクターはなかったようです。
1985年のマスコットキャラクター
1985年に開催された「つくば万博」のマスコットキャラクターは「コスモ星丸」。
【タイムトラベルシリーズ コスモ星丸】
3月下旬のガチャガチャ。 https://t.co/OZ8QEXK2Me #pr pic.twitter.com/ywJgdE4zgn— ガチャガチャサラリーマン|最新ガチャ情報 (@japancapsuletoy) March 11, 2025
当時中学1年生の女子生徒がUFOをイメージして描いた原案を和田誠さんが仕上げたデザインのキャラクターになっています。
1990年のマスコットキャラクター
EXPO’90 国際花と緑の博覧会(1990年)の公式キャラクター『花ずきんちゃん』
「花の万博(EXPO’90)」の公式キャラクターとして誕生したのが、『花ずきんちゃん』です。
チューリップの帽子をかぶった、明るく元気な女の子の姿をしたマスコットでした。
(声優:林原めぐみさん)
(ハローキティと同じ声の人)
(ガチです) pic.twitter.com/eQKVBHk9Vs— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) January 20, 2025
2005年のマスコットキャラクター
2005年は愛知万博「愛・地球博」で開催され、マスコットキャラクターは森の精「モリゾーとキッコロ」でした。
キレキレ!踊るモリコロ 愛・地球博20年
愛・地球博20年を記念してモリゾーとキッコロが #まるっと!のスタジオにやってきました。
毎日6時間特訓しているという、キレキレのダンスを披露しました。しゃべっています🌳🌲
動画で👇https://t.co/pZB5khgK5P— NHK名古屋 (@nhk_chubu) March 26, 2025
愛・地球博のうわさを聞いて姿をあらわしてくれたんだそうです!
次は「4. 当時の万博キャラグッズ&デザインの魅力」をご紹介します!🎁🌀
当時の万博キャラグッズ&デザインの魅力
1970年大阪万博は、日本にとって初めての国際的ビッグイベント。
その興奮と感動を持ち帰るために、会場ではたくさんのグッズが販売され、大人も子どももこぞって買い求めました。
今回は、当時の太陽の塔を中心とした万博キャラクターグッズと、そのデザインの魅力をご紹介します。
太陽の塔グッズは当時も人気に
キャラクターではなくモニュメントだった太陽の塔も、独特のインパクトでグッズ化されていました。
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太陽の塔の置物(陶器やプラスチック製)
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組み立て模型・貯金箱・フィギュア
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太陽の塔がプリントされたバッグやTシャツ
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絵葉書やポスターなどの印刷物
とにかく「どこか不気味でカッコいい」デザインが、子どもから大人まで虜にした存在だったのです。
各国パビリオンのオリジナルキャラも存在
1970年の大阪万博では、各国のパビリオンでも独自のキャラクターやモチーフが作られていました。
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カナダ館の「メープル君」
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スペイン館の民族衣装キャラ
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ソ連館のロボット風案内キャラ など
これらは現在ほとんど資料が残っておらず“幻のキャラ”として語り継がれています。
国際色豊かで多様性のあるデザインも、万博ならではの魅力です。
レトロでサイケデリックな配色が特徴
1970年という時代背景もあり、万博グッズのデザインは今見るとかなり個性的でカラフル。
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鮮やかな赤・青・黄色の原色使い
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幾何学模様・サイケデリック柄
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丸みを帯びたフォントやレトロ書体
まさに“昭和レトロ”の象徴とも言える雰囲気で、今でも「このデザインが好き!」というコアなファンも多く存在します。
今でも「EXPO’70グッズ」はコレクターに大人気
驚くことに、当時の万博グッズは今でも中古市場やオークションで高値が付く人気アイテムとなっています。
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太陽の塔の陶器製フィギュア:プレミア品
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会場限定の紙袋やパンフレット:美品で高騰中
こうしたグッズは「昭和の夢」「未来への憧れ」を象徴する存在として、今も多くの人の心を惹きつけています。
次は「 現在の評価と2025年大阪万博とのつながり」をご紹介します!🌏✨
現在の評価と2025年大阪万博とのつながり
1970年の大阪万博から半世紀以上が経った今、あの時代のキャラクターやシンボルたちは“懐かしさ”と“再評価”の波に乗りながら、次の万博へとつながる存在となっています。
ここでは、太陽の塔の今、そして2025年大阪・関西万博との関係を見ていきましょう。
太陽の塔は“公式ではないけど最強のシンボル”
太陽の塔は、今でも「大阪万博といえばコレ」と言われる存在です。
当時は“シンボルモニュメント”として建てられたものですが、今や“キャラ以上の存在感”を持つ文化的象徴となりました。
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万博記念公園の再整備
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内部公開の復活(完全予約制)
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太陽の塔をモチーフにした現代アート・グッズの続出
その存在感は時代を超え、「アートとして、シンボルとして、キャラとして」多面的に愛されています。
万博の記憶とともに愛されるデザイン遺産
1970年万博のデザイン全体も、今改めて評価されています。
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ロゴマークのシンプルな美しさ
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ワッピーや太陽の塔のアイコニックなビジュアル
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パビリオン建築の斬新なフォルム
これらはすべて、日本の高度経済成長と未来への夢を象徴するデザイン遺産として残され、
若い世代にも「新鮮でかっこいい」と感じられています。
2025年大阪・関西万博では「ミャクミャク」が新たなキャラに
2025年に開催される大阪・関西万博では、新たな公式キャラクターとして「ミャクミャク」が登場しました。
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不思議な見た目と赤青の配色
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血管(ミャク)+未来(ミライ)を掛け合わせたネーミング
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賛否分かれる個性派デザインで話題に
この「クセのある見た目とコンセプト」は、どこか1970年の太陽の塔ーに通じる“自由でアート的な発想”を感じさせます。
1970万博の精神が次世代にも受け継がれる
1970年大阪万博は、「未来への希望」「国際的なつながり」「進歩と調和」というテーマを掲げ、それをビジュアルやキャラクターでも表現しました。
2025年の万博でも、当時のスピリットが色濃く受け継がれています。
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太陽の塔が“過去と現在”をつなぐシンボルとして存在
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新しい技術や国際交流の場としての万博再興
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ミャクミャクや新キャラたちが“新しい物語”を紡ぐ
「1970から未来へ」――万博のキャラクターは、時代を超えて人々の記憶と心をつなぐ存在なのです。
まとめ
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大阪万博1970には、公式マスコットはなかった
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太陽の塔は公式キャラではないが、モニュメントとして“キャラ以上”のシンボル的存在に
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万博当時のグッズやデザインも魅力的で、現在もコレクター人気が高い
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2025年大阪・関西万博では「ミャクミャク」が新キャラとして登場し、70年万博の精神を継承中